読書とか日記

読んだ/見たときの感想と日常です。

劈開はへきかいと読みます

ちょっと大きめの雲母を劈開させたい、というよくわからない欲望がある。

小学校の校庭の土に混じっていた黒く艶のある平たい結晶、数ミリサイズの雲母の粒を拾って爪の先で力を加えたら滑るように剥がれてばらばらになったあの感触をもっと大きい塊でしっかり味わいたい。

最近調べたら雲母の標本は数百円で売っていることがわかった。送料を入れても千円ちょい、充分手の出せる価格なのですね。ふーん。

 

でもなあ。崩したらもう元には戻らないからなあ。何万年か何億年か知らないが時間をかけて出来たものをただおのれの好奇心を満たすためだけにバラバラにして良いものか。そんなに珍しいものではないとしてもなんか、何かがもったいなくないか。本当にいいのか?自然に対する傲慢な浪費ではない?大丈夫?

あと費用対効果。数百円のケーキがすぐなくなってしまっても食べて満足なら損したとは感じないわけだが雲母を薄くバラしたときに得る満足感は価格に見合うだろうか。正直想像がつかない。

 

そして昨日知ったのですがネイルアート用の細かい雲母(マイカフレーク)って標本よりさらに安く売ってるんですね!これならすでに細かいからビビらずに劈開させられるなあ。というわけでとりあえず雲母のフレークを買いました。通販なのでまだ手元には届いていません。

 

しかしある程度大きいそして厚い雲母をバラすのも、死ぬまでにやりたい100のことの98番目くらいには入ると思うし実現する難易度も低いのでいずれやりたい。いずれそのうち。